日本人の素敵なところ

日本人のいいところについて

お待たせしました。試験や、イタリア後のヨーロッパ旅行のために
ばたばたしておりました。

まずヨーロッパの人たちが抱えている日本人にイメージについて
気づいたところを書いていきます。

*電化製品の王者

電化製品に関しては日本が一番という認識が強いようです。
電子辞書を使っている外国人を見たことがないのですが、いくらぐらいの金額で
いつごろ発表されたものかというような質問を受けました。
新しい電化製品は日本でだいぶ浸透してから自分の国で流通していくっていう認識
のようでした。

*勤勉さ
日本人はほかの西洋人に比べて圧倒的にイタリア語の習得にひけをとります。
スペイン、ポルトガル、フランス系の言語をわかる人はイタリア語って
にてるし、英語も似た単語がけっこうあります。
だからちょっと難しい単語が出てきても、向こうの人たちは
せり用語でいう(なぜせり用語?)、「あたりをつける」ことができるんです。
でも、もちろん日本語はイタリア語に似てないから
そんなときに軽く説明されてもまったくわからない。
動詞ななのか形容詞なのかもわからないって感じです。
ちなみに発音さえ一回ではよくわかりません。

そんな中で、先生たちがナニ人の生徒が一番イタリア後を上手に話せるか
っていう話題になったときに、日本人だってことになったそうです。
勉強量がほかと違うからって。
日本人は授業がわからなすぎるので一日に4時間とか5時間とか勉強して
授業に臨んだりしています。ヨーロッパの人たちが宿題わすれてるなかで。

アイルランド人の友達に、世界で勝つのはやっぱりあなたの国よ!
っていわれました。

そうなんですかねー。

*礼儀正しい
日本人の働きすぎなのではないか問題について、仕事がなくても上司が
残ってたら先に帰れないとか、暗黙のルールが存在するという話をしてたときに
「それ、礼儀正しいから?」って聞かれました。
いまいちどうとっていいのかわからなかったのですが
よく掘り下げていくと、日本人はよくすごくこころを閉ざして見られるのですが、
それは、礼儀正しさからきてるとみられていることがあるみたいです。
私から言わせれば、基本的には日本人は外国人と対等にはなすことになれていないし
ヨーロッパの人みたいに気軽に英語をはなせないし
やっぱりみんな大きいし、顔だっていい作りしてるし
海外の雑誌みたいにおしゃれだったりするし(とくにイタリア)
そのくせ積極的だし、どうしていいかわかんないんですよ。
それで心苦しくなっちゃてるだけだと思うんです。
うわ〜ちびですいません!とか、顔引っ張られてるみたいな顔なのに身長の割には
巨顔ですいませんとか。英語も当たり前に話せると想定されるので
イタリア語も英語もできないと存在として無視されてしまったりとか。
できないと不思議な顔されちゃうし。そりゃあびくついてしまうのですよ。
それを、なんか「礼儀正しい」って思われたりしてるみたいです。
たぶん空気読みすぎたりするからなんですけど。

*きれい好き
大家さんで日本人だったら、きれいに静かにすんでくれるから
いつでも貸すっていってくれてる人多いみたいです。

長くなりましたが、なにがいいたいかといいますと
私は感動しています。

今の日本人でさえびくつく西洋人に、いきなり開国を迫られた日本人が
あせらなかったわけがないと思うんです。いきなり無理難題をおしつけられたりして。
それでも開国をして、戦争後に何もなくなりそうだったこところから
今は経済の発展という意味では、誰もが認めているのを感じます。
東京に住んでいるというと、すごく都会で美しい文明の始まる国のように扱われます。
ルックスが劣っていたとしても、国としてかわいそうだと思われることはないです。
でも5、60年前には、誰もが認める小さい貧乏な劣った国で、ただ対等になることを
目指して本当にからだにむちをうって働いてきた人がたくさんいらっしゃったおかげで
私はその恩恵を受けているんだなと思っています。

人(西洋)より倍働くことしか生き残る道が残されていなかった日本人の
努力の結果をかんじます。西洋人は概して交渉が上手なので、コミュニケーション
としてそれに慣れていなかった日本人が、ただ努力でまじめにやってきたということのような
気がしています。

終戦後のなにもなかったときの話なんて小説でしか読んでないけど
確かにそのような歴史があって

今は
「日本人は仕事が本当に上手だよね。」とか(たぶん電化製品とか
手先が器用みたいなことをいってる)
 旅行者のなかに日本人らしき人がいるたびに、本当にお金持ってるね。とか
 授業で出身地の都市が大きい順に発表があったときに、ロンドンでもミラノでもなく
 東京を一番大きいと言う意見に全員が一致していました。

それを聞いた、幕末から昭和初期の日本人で、今力をつけなければ
西洋にやられてしまうという想いだけで生きてきた人々はなんていうんだろうって思います。
聖徳太子は結構知ってたかもしれないけど。(笑)
なんとなく。

 カメラなんて、日本製以外のを使ってる人をめったにみません。

  散々、ロボット論を書きましたが、ロボットになるしか生き残れない
 時代があって、それに関しては日本は成功したということなのではないかと思いました。
 何かの成功を得るために、ストイックにがんばること自体はすばらしいのだと思います。
 悲劇がすきという意見があったけど、スポーツ選手みたいに努力するのは日本人のいいところ
 で、それと悲劇好きが混ざっちゃいけないと思います。イタリア人のシェフに修行している日本人
 の女の子が、「周りがあんまりいい加減だから、労働意欲がうせる」といってました。
 よくわかる。だってそこは、歌ってばっかでおいしかったりまずかったりする料理教室兼、
 レストランだったから。

  何かの本でフィギュアスケートの村主選手が、本当に強い人間は、環境や状況のせいにしない
 といっていました。
 自分にはスケートがすきっていう武器しかないけど、ルックスも技術もないけど言い訳しないで
 やるしかないんだって。なぜかなみだがでそうになりました。
 本当の武士道の美しさはそういう風に残っているんだと思います。
 その部分は私個人としては誇りに思うべき日本人のポイントだと思っています。
 そしてそういう努力が、いま対等に日本人が海外に行ける恩恵に結びついていると
 も思っています。

  ただ、やっぱりロボットはいけないですよね。
  つづく。