迷子

じつは、私がイタリアに来たきっかけは、二、三年前の偽装事件が続発したころにありました。
お肉とか、老舗のお菓子とか老舗の料亭とか立て続けに偽装が発覚したときです。

客観的にテレビをみていて
程度の差はあれ、こんなことどこの会社でもおこってることなんだろうな
って思いました。もちろん、胸糞悪いともおもいながら。

掘り下げて考えるうちに、利益を上げるための小さな嘘はよくあることだし
法律に引っかからない範囲であれば、むしろ頭がいいといわれるようなやり方なんだろうなって
おもったりしました。ずっとさかのぼって考えて小学校から大学まで、少し多めにお金を稼ぐ
ために工夫することが頭がいいことって習ってきたのではないかとおもいました。
少しでも、安定した企業に入るための勉強が受験ならば、それを小学校や中学校から
やっていたように思います。
「安定した生活がおくれるように」
「大きな間違いをおこさないように」
のりおくれないことを目指して、教育されてきたような気がしました。
だったら、その教育の上では偽装は見つからなければあまり悪いことではないっておもってしまっても
しょうがないのかなともおもいました。
なぜなら、偽装が何で悪いの?ってきかれたときに
「嘘をついているからよ。嘘をつくことはよくないことだからよ。」
って答えてしまいそうなきがします。
でも偽装がなんで悪いかは、嘘だからでは説明が98%足りてません。
偽装の悪さは嘘で片付く問題じゃないと思うのですが、日本の教育で
子供に説明仕切れない気がします。

たぶん、日本の教育で宗教に変わる道徳の教育は武士道だったのではないかとおもいます。
武士道を読んでみると日本人なら誰もが知っている他人を思いやるための配慮や、自分の尊厳を
保つ意義が書いてあります。戦後、日本が持っているすべての価値観を否定されて
しまったときに、教育の柱が経済に変わってしまったのでしょう。

よくヨーロッパの友達が、アメリカ人の価値観について話すとき
たいてい出てくるのが、「お金に関する話題ばっかり。」とか
アメリカはアメリカ以外の国について新聞に書いてないから、
アメリカ人の子が何にも知らなくてもそれは彼女の責任じゃないよ。」とか
いったりします。もちろん、100%偏見だし、ヨーロッパが世界の常識じゃないでしょう。ただ、100%の真実のように日本に戦後押し付けられた価値観は,アメリカが決めたものでしかなかった。歴史のある西洋の国の人たちのアメリカ観がどこにあるのかをみるのも必要だと思うのです。
日本はアメリカの背中について、今までの価値観さえ否定して、自分の国に
誇りを持つことが悪だとされて、経済を考えて生きてきたのではないでしょうか。
でも、その経済も破綻してしまった。

ルネッサンスが必要なときがきたのです。
今までの価値観を見直して、どう生きるべきなのか
変わらなければいけないときが来たのだとおもいます。
そして、私はルネッサンスを学びにイタリアに来たのでした。
(嘘です。すいません。)

ただ、このままじゃまずいぞ!がどう変えたらいいのかをまなびに
イタリアを選んだのでした。(これは本当。)

ロボットというのが、ただやみくもに働くということであれば
それは、前回そのよさもあったといいましたが
私が本当にショックだったロボットの意味は
他人を人間として扱わないという意味だったことです。
厳密に言えば、他人も自分も。

エレベーターで乗り合わせた人と会話をしたり、道を聞いたついでに
ジョークをいったり、きれいな人にきれいって伝えるのは、相手を人間として
尊重することが当たり前だからのようです。心を通わせて生きている。

でも、日本では他人には言わなければいけないことだけをいったりします。
それは、用を済ませるために。スーパーのレジの人の人生なんて関係ないから
間違いなくすばやく礼儀正しくやってくれればいい。でも、間違えても
何回かあったら、元気?ってきいて心を通わせることができれば
結構素敵なのに。日本から見れば、無駄な時間をすごして能率わるくいきてそうなのに
確実に幸せそうなイタリアを調査してみたくなったのでした。

お金とか、能率とか文明とか文化とか教育とか政治とか全部ひっくるめて
迷子になってしまったようにみえる日本で迷子になってしまったからです。

そして、迷子になっているのが自分だけじゃなくて、その点から思う迷子
じゃない人がイタリアにいそうだと思ったからなのでした。
次回、短期間で見えたものをまとめてみます。