オランダ人

イタリアで美術史を勉強しました。
メディチ家のお膝元で。

毎日、モニカ先生(50歳のヘビースモーカー)の劇的な解説付きで。

ミケランジェロとかレオナルドとかボッティチェリとかカラバッチオとか
普及の名作を数知れず、毎日毎日日射病になりそうになりながら死ぬほど暑いイタリアで。

イタリア旅行の最後に、締めとして、ドイツとスイスとオランダに行きました。

そしてゴッホ美術館にたどり着きました。
ちなみにオランダ語はしびれるほどかっこいいとおもってるんですけど

ゴッホは、ホッホと発音します。
「ほ」は、すごく力をいれてほっっっって発音します。まったくもって難しい。でもしびれるほど男らしくてかっこいい発音!

ゴッホ美術館にいって、ゴッホの絵と対峙しました。

すごかった。

さいころ、絶対タイムを出さなきゃいけない大会で、スタートを待ってると、ピストルの音がバンっってなるときに似ていた。水に飛び込む前の緊張。

性別とか、年齢とか生活の悩みとか、外が雨降ってるとか、全部消えて、生まれてきたときからの自分にぴったり同化するような。

胸の鼓動と自分しかみえなくなるような。

バンジージャンプ?ちょっとちがいそうだけど
雑音が消えてしまう感じです。

死ぬほど興奮しました。

一生懸命、なぜこんなに芸術作品まみれになったあとで、「ゴッホ」に興奮するのか、それはなんなのか、必死で考えました。

好奇心が爆発する。言葉は消えるのに、胸はうるさくなる。

確かに、ゴッホは悲惨で貧乏な人生を送ったかわいそうな人ってイメージがあるけど、何百年も後に生まれたたくさんの人の心をグッラッグラに揺らすことをしたひとなんだなーと。

自分の仕事で、息も止まるような感覚を何百年も人々に与え続けてる。
たくさんのいらないものを背負った人をまったくの素に戻してしまう。

すごく単純に、かっこよすぎるとおもいました。陳腐なことばだけど。

生活には、当たり前のルールがたくさん必要で、それは大事なことなのに
人の心はそれ以外のものに感動するときがあって、生きる喜びは複雑だなと思いました。

もし私が億万長者で死ぬとしても、ゴッホの人生にはかなわないとおもって死ぬんだなと思いました。清潔で正しい事実なんだなーと。
だからこそ、人生は生きる価値があるんだなとおもいました。


心が満杯になる瞬間は人によって違いすぎる。