サンタさんの偉大な仕事

この大晦日のタイミングに時期はずれなんですが、どうしても文章にしたかったので、これでいきます。

すごく身近に、不器用で努力の実らないおじいさんがいた。
彼は、仕事を引退する2、3年前から、習字を始めていた。
当時で毎日二時間は習字にいそしんでいた。
義理の兄に漢文学者がいて、彼をたたえる掛け軸をもらっていた。
その内容を理解したり、自分なりの人生の哲学を文章にしたかったのかもしれない。
当時からこの内容の漢文を書ける日本人の学者はもういないといわれていた。

仕事を引退して数年後すぐに、脳梗塞で倒れた。
もともと色んな病気が出始めていたので、事態は深刻に成りうるとの見解もあり
親不孝をしていた末娘は、初めて親孝行に目覚め、実家に引っ越すこととなる。

二度目に脳梗塞で倒れたときに、彼は落ち着いていた。
妻は動揺して家族を集めた。
家族が夜中に病院に電話している間、彼はすごく遠くを見つめ、お別れを言い始めた。
夜中に倒れた直後だったので、実は身だしなみに几帳面な彼の髪が、人前に出ているのにくしけずられても油をつけられてもいなかった。彼はふわふわの天パーを少し頭に載せてソファーにどっしりと腰を下ろし、どこか落ち着いた表情で家族の顔をいとしそうな目で見回した。孫たちは所在無さげにしていた。


「ばってん、よーかじんしぇいやった!しごつにも家族にもめぐまれた。
神様がみてくださっていたち、おもうー。」
(すごくよい人生だった。仕事にも家族にも恵まれた。神様がみてくださっていたのだと思う。)

その瞬間の衝撃に、末娘と次女は目を合わせた。あまり仲が良かった姉妹とはいえないが事態の重さに、自然とお互いの表情を確認してしまった。

入院して一ヵ月後、彼の非凡な運の強さに、左半分に後遺症を残しながら、復活した。

「あれ、あの時お別れ言ってたけど、結構ゲンキになったね。」
姉妹は不謹慎であることを恐れつつも、おかしくてすこし嬉しかった。

彼は本来の努力家の面を十分に発揮し、それから毎日早朝から2時間半の散歩をリハビリ代わりに始めた。旅行と土砂降りの日以外は、毎朝3時に起きる。
3時半に出発し、6時に帰ってくる。新聞を読み本を読んで朝食をとり、朝8時から習字を始める。旅行中でしょうがないとき意外は休日も毎日欠かさず練習している。

一級まではすぐになった。
一ヵ月毎に級があがるときもあった。
習字教室の人たちは、まさか彼が毎日6時間も習字をしているなんて思いもしないので口々にその進級の早さを褒め称えた。

彼は、得意げに帰宅してガッツポーズを掲げ、リビングで叫ぶ。
「いっきゅう〜〜〜〜〜〜〜!」
「おいや、天才かんしれんばい。」

それからが長かった、おそらく段を取るには努力以上のものが必要らしく、何年もそれ以上の級にはならない。

次々に後から入った人たちに抜かされていく。
彼は投げやりになり、プライドを傷つけられ、もう習字教室には行かないと宣言した。
「あとから入った人にも抜かされるとばい。」
それでも練習はやめなかった。

習字を始めて九州男児の彼が、初めて家事をするようになった。
廊下の掃除だ。
どこかの習字の上手なお坊さんが、習字には精神を鍛える作業が必要だといったらしい。
毎日毎日決まった時間に掃除をする、どんなに寒い日でも、窓を全部開けて裸足で雑巾がけ。

この間、ふと彼の習字をしている時間を計算してみた。16000時間ぐらいになる。
もしそれが英会話だったら、まったく初歩のレベルからぺらぺらレベルになって
何往復か出来る時間だ。絶望しても無理は無い。
世の中には実らない努力もあるらしい。
「おいや、もう来世にかける。来世では2才から習字をする。」
ちょっと本気でつぶやいていた。

家族の説得により、習字教室には引き続き通うことにしたらしい。
クリスマスの当日、習字教室から連絡が入り、彼は念願の初段になった。
苦節8年、彼はどうにか成し遂げた。

彼は今本気でダイエットを考えている節がある。
どうやら、長生きに再度めざめたらしい。
なにか次の夢を見つけたみたいだ。
75にもなって、夢がかなったことにうきうきしている。

それからは初段と呼ばれている。(主に末娘に)
「初段、お加減はいかかですか。おはようございます。」
「うん。わるくなか。ばってん、大声で玄関の外から毎日その名前でよんでくれんか。(近所中に初段だときづいてもらえるように。)」

幸せでしょうがないらしい。
どんなに時間がかかっても、誰もがその才能を疑っても、夢はかなうときがある。
サンタさん、私は人生にわくわくしました。本当にありがとうございます。