ステップスバーで話したこと


今私が滞在しているタオルミナには、石畳の階段を利用してそのままバーにしている
お店がいくつもある。

そこからは、海も見えて山も見えたりする。
海にはイソラベラという島があって直訳するとそのまま、美しい島という意味になる。
グランブルーの舞台になったらしい。

石畳の階段バーからは海が見えて海の香りがする。
そこはHamamathみたいなアラブ風のかっこいい名前がついているんだけれども
覚えづらいのでステップスバーといわれている。
シチリアはまだ長袖がないと寒い時間もあるけれども
日差しが圧倒的に町を彩っている。まぶしくて明るくてよくわからなくなる。
なにが正しくてどこにいきたいのか。
その力強い明るさにきもちがいっぱいに詰まってしまって思考が鈍くなる。

そんななか、今日はなしたこと。
ライフとリレーションシップについて

衝撃的だったのは、
①人生に保障はないということ
確かなのはいつか死ぬということだけで、自分を強く持たないと失敗をしたときに
責任がとれないということ。いわゆる適齢期になると結婚が人生を幸せにする
ための大事な切り札におもうときがあるけど、結婚での失敗は人生で痛手になることも多い。
②リスクを守って得られる幸せなんてないってこと。
誰かに借りた自分ではなく、他人にとって都合のよい自分でもなく、その人自身のあるがままになってやりたいことをやって戦って身を削って得られる幸せがすてきらしい。


20〜40代の人が集まってそれは真剣にライフとリレーションシップでの勘違いについて
話した。今はどこの国も離婚が多いらしい。結婚や人生についての幻想について
男も女も既婚者も離婚者も未婚者も心から思ってることを言ってたんじゃないかと思う。上の二つがかなり厳しいものに
聞こえてしまうのは、たいていの人が親が離婚しているからかもしれない。
親が離婚していないのは私だけ。

「何十年単位で考えたときに嗜好が変わってしまうことはよくあって
愛が終わってしまうことは特別なことではない」みたいな前提での話だった。
今日の題目がなぜかどう失敗しないのかってことだったので
ネガティブな流れにはなったけど、どうやらもっともっと人生には試練があるらしい。誰かと愛し合うことはすばらしいけど自分の人生の幸せの責任を他人にとってもらおうとおもってはいけないみたいな話をしていた二十代の男の子がいて、みんな力強く同意していた。私もなんとなく強く感じていたことが
言葉として振ってきた気がしてちょっと感動した。

私はずっと冒険していたい。