ヨガの効用

30歳をすぎると、体型も一筋縄じゃいかなくなって、よくわかんないラインを描く。残念ながら。
「ここ盛り上げなくてももっと盛り上げるとこがあったでしょ。」なんて正論は通じない。おとはずしまくって気持ちよさそうに歌う陽気な音痴みたい。

ヨガはありがたいことに、その気まずさから来る不安や恐怖から解放してくれる。不安定な女心をばっちり守ってくれるわけです。体型なんてたいしたことじゃないとは言い切れない女子のお守りのようなものなんだと思う。

でも、ヨガを始めて5〜6年経って、もっと大切なヨガの効用について、少し気づいてきた。ヨガでは、「自分の心、気持ち、詰まってる感じのするところなんかを善悪の判断はせずにじっくり眺める。」ということをする。慣れてくると、「なんか一筋の強い怒りみたいのがあるなあ。」とか「なんかこまかくちりばめられた、希望とか、走り出しそうなわくわくがあるな。」とか「なんだかやるきなくて少ししずんでるなあ。」なんてことがわかるようになった。それから、ヨガでは「歯を食いしばって息を止めてがむしゃらになるのではなくて、自分の呼吸を確かめながら、ちょうどいい居場所を探すことが大切」となっている。

毎日毎日やってると、(よくさぼるけれども)自分の喜び、心の満足がどのあたりにあるのかが見えてくる。

もっと慣れてくると、何をしていくとその満足にたどりつけるのか優先順位も見えてくる。

「心の中の不安や焦り」をやみくもに追い出すでもなく、たとえていうなら「肩を組んで仲良くする」ようなことが出来るようになるんだと思う。

最近、幼児虐待や無差別殺人の事件をみて、もし犯罪者の人に会うことがあれば、とりあえずヨガを薦めてみたいと思った。そういう人たちが皆、変質的なド変態だったら話はべつなんだけれど、心の中の不安や恐怖、劣等感、エゴなんて誰にでもある感情が、自分がすることが他人をどんな目に合わせてしまうかが想像できなくなるほど爆発してしまったということなら、残酷な話だとおもう。

「情けはひとのためならず」じゃないけど、いいことをすると自分にも返ってくるように、いやなことをするとやっぱりそれも返ってきたり、いいことをされると自然と人にいいことができたり、いやなことをされると、やっぱり簡単にいやなことをしてしまったり、虐待を受けた子供が大人になると虐待してしまったり、、、
私がその人たちに薦めることがあるとすれば、
「何か自分が楽しいこと、心地いいこと、わくわくすることを見つけてその時間を増やすようにちょっとやってみて」っていってみたい。
ヨガとか、瞑想とか座禅とかなんかいろいろ流行ってるけれど、何にも判断しないでまずは自分の気持ちを眺めて見ることが役に立つんだろうとおもう。満足できるものがどこにあるのかまずは探して、他人の価値観の合間を切りぬけて、自分の人生をしがらみや世間の価値観から解放できるなら、ヨガの効用は絶大だとおもう。心の自立をした上で手をつなぐって素敵だと思う。(かるくつけたしておく)

でもなあ、この間、ヨガを三十年以上やっててヨガの先生の資格をもつ、70歳ぐらいの女性と話したんだけれど、びっくりするほどセレブ話が大好きでエゴの塊みたいな人だった。周り全員しらけさせてた。ヨガ、役に立たないのかもしれません。