8月15日

父との歳が離れているせいか、今日の受け止めかたが、昔から同級生と少し違っていた感じがしている。

うちの父親は今年75才になる。靖国神社にも参拝にいく。終戦の歳に小学生だったらしい。父親の兄弟の中で、父は背がひくく、父の兄弟が長身でハンサムぞろいの中で、ばっちり見劣りしている。父は、自分の時だけ栄養事情が悪かったせいだというが、確かに友達もみな小さめだ。

戦争については、いつもわからない。体験してないし、本を読んでも過去を今の常識で解釈するのは難しい。

戦争自体はたくさんの人が死ぬ悲惨なできごとだし、肯定したことはない。日本が戦争したこと、たくさんの人が死んで、たくさんの人が殺しあったこと、目の前で死んで行く人を見なければいけなかったこと。悲惨で辛かっただろうと思う。

10才で、死が身近にあったこと。家族や友達の誰かが明日から会えなくなっても不思議でない緊張感にいたこと。いざとなったら母親や女兄弟を守ろうとしたこと。国が負けて何も無くなった経験をしたこと。

父親の九州男児ぶりや、父親からみて、深刻に生きてないようにみえる人に疑問を持っても仕方のないことなんだろうと思う。

戦争をおこした人の中に、間違いがあったとしても、今の私より、大分若い年齢で、家族を守るために、日本が勝つことを望んで死を覚悟で戦った人に対して、手を合わせます。

昨日イタリア在住の日本人やイタリア人と人種差別に対して話をした。ヨーロッパでアジア全体をちょっと差別したとしても、日本人にはあまり差別を感じないらしい。確かに、民族として、「劣っている。下品だ。信用できない。」と思われていないことを感じることは多かった。

戦争を始めたときには、西洋から見れば、アジアの野蛮国の一つに過ぎなかった日本が、今はアジアの中ではあまり差別を受けない国になったこと。

終戦後の何もないところから、世界中の食べ物が集まる国になったこと。本気でその時の惨めさと悔しさを乗り越える努力をした日本人が大勢いたことに、心から感謝したいと思います。