Mens sana in corpore sano.

題名は、ラテン語
「心と頭の健康は、体の健康から」という意味です。

スポーツをしたりして体の健康を保つことが心にもいいし、頭を使うときにも役立ちます。
というような意味らしい。
実は、これは私の人生のテーマのひとつ。
運動をして体力をつけたり瞬発力や持続力、柔軟力をつけて、いつまでも遠くにいける自分にしておきたいのです。物理的な意味に限らず。体の硬化とともに、脳も硬化させてしまうのは切ないので。私の人生の喜びは希望に立ち向かうことであります!!(あつい)

てなわけで、今年の抱負は運動にします。
(脈略なし)

冬休み中にジョギングをはじめ、週4ぐらいで走り始めた。
仕事が始まったのでペースを落として、(多分週一、、、か二週に一回ぐらいに。。。。)やっていこうと思う。

実は裏目的があって、年末に水着を買ってしまった。

鎌倉の水着屋さんにふと立ち寄り、思わず買ってしまった。

その水着屋さんはブラジル水着しか置いてない、かなり攻撃的なお店なんだけど
「僕は水着が大好きです。」と言い切る男の人がオーナーの店。
デザインもしているらしい。

店内に入り、夏と海好きの私は思わず物色してしまい、試着を申し出た。

思ったとおりのかなり勢いのいい水着で、ほとほと弱気になってでてくると
オーナーが私と一緒に来た友達と「ボディファッション」について話している。

「僕が売っているのは水着じゃない。ボディファッションなんです!」
という声が飛び込んでくる。

怖い。
「たとえばブラジルに行くでしょう。少しおおきなとおりならジムがたくさんあって
お化粧品とかヘアサロンよりもジムがたくさん並んでいるんだ。」
「補正なんてしちゃだめなんだ。そのままの自分がおいしそうな料理みたいに手をかけて
男性に訴えかけなくちゃ。」「それに必要なのはヘアカットとかお化粧とか補正じゃないの。
健康な体と無邪気さと陽気さ。髪やお化粧できれいにすることなんて、ボディファッションじゃないんだ。」

よくわからないけど思わず聞き入ってしまった。

「ボディファッションってなんですか?」

試着室から出てきてもオーナーがしゃべり続けていたので、ちょっと聞いてみた。
「たとえばね、お嬢さん、この鏡の前で一番君がきれいに見えるポーズで立ってみて。」

「。。。。。。。。   無理です。」

「君は自分がきれいじゃないと思ってるの。それじゃだめなの。きれいに見せなきゃだめなの。ボディファッションってそういうこと。ビキニがない部分がきれいにみえてなきゃだめなの。君が試着した水着はこのお店でも、かなりの上級者むき。女性の美しさは体の健康さからくるその存在力なの。運動して磨かれる生命力なの。〜〜〜〜〜〜〜」

私も色んな世界のおたくを見てきたけれど、彼はまさしく本物だった。この10倍ぐらいしゃべり続けてた。
もちろん買いました。そのビキニ。ぜんぜん補正無いけど。
だってその女性の魅力は、ちょっと身につけたい種類の魅力に聞こえたし、ボディファッションおたくってレベルたかい。

「また来てね。僕、君の試着姿みたいから。絶対見せに着てね。」

(。。。。おたくっていうか、へん○い?嘘です。すいません。)
いやいやいや〜。


今年はがんばります!
みなさんは抱負決めましたか?

サンタさんの偉大な仕事

この大晦日のタイミングに時期はずれなんですが、どうしても文章にしたかったので、これでいきます。

すごく身近に、不器用で努力の実らないおじいさんがいた。
彼は、仕事を引退する2、3年前から、習字を始めていた。
当時で毎日二時間は習字にいそしんでいた。
義理の兄に漢文学者がいて、彼をたたえる掛け軸をもらっていた。
その内容を理解したり、自分なりの人生の哲学を文章にしたかったのかもしれない。
当時からこの内容の漢文を書ける日本人の学者はもういないといわれていた。

仕事を引退して数年後すぐに、脳梗塞で倒れた。
もともと色んな病気が出始めていたので、事態は深刻に成りうるとの見解もあり
親不孝をしていた末娘は、初めて親孝行に目覚め、実家に引っ越すこととなる。

二度目に脳梗塞で倒れたときに、彼は落ち着いていた。
妻は動揺して家族を集めた。
家族が夜中に病院に電話している間、彼はすごく遠くを見つめ、お別れを言い始めた。
夜中に倒れた直後だったので、実は身だしなみに几帳面な彼の髪が、人前に出ているのにくしけずられても油をつけられてもいなかった。彼はふわふわの天パーを少し頭に載せてソファーにどっしりと腰を下ろし、どこか落ち着いた表情で家族の顔をいとしそうな目で見回した。孫たちは所在無さげにしていた。


「ばってん、よーかじんしぇいやった!しごつにも家族にもめぐまれた。
神様がみてくださっていたち、おもうー。」
(すごくよい人生だった。仕事にも家族にも恵まれた。神様がみてくださっていたのだと思う。)

その瞬間の衝撃に、末娘と次女は目を合わせた。あまり仲が良かった姉妹とはいえないが事態の重さに、自然とお互いの表情を確認してしまった。

入院して一ヵ月後、彼の非凡な運の強さに、左半分に後遺症を残しながら、復活した。

「あれ、あの時お別れ言ってたけど、結構ゲンキになったね。」
姉妹は不謹慎であることを恐れつつも、おかしくてすこし嬉しかった。

彼は本来の努力家の面を十分に発揮し、それから毎日早朝から2時間半の散歩をリハビリ代わりに始めた。旅行と土砂降りの日以外は、毎朝3時に起きる。
3時半に出発し、6時に帰ってくる。新聞を読み本を読んで朝食をとり、朝8時から習字を始める。旅行中でしょうがないとき意外は休日も毎日欠かさず練習している。

一級まではすぐになった。
一ヵ月毎に級があがるときもあった。
習字教室の人たちは、まさか彼が毎日6時間も習字をしているなんて思いもしないので口々にその進級の早さを褒め称えた。

彼は、得意げに帰宅してガッツポーズを掲げ、リビングで叫ぶ。
「いっきゅう〜〜〜〜〜〜〜!」
「おいや、天才かんしれんばい。」

それからが長かった、おそらく段を取るには努力以上のものが必要らしく、何年もそれ以上の級にはならない。

次々に後から入った人たちに抜かされていく。
彼は投げやりになり、プライドを傷つけられ、もう習字教室には行かないと宣言した。
「あとから入った人にも抜かされるとばい。」
それでも練習はやめなかった。

習字を始めて九州男児の彼が、初めて家事をするようになった。
廊下の掃除だ。
どこかの習字の上手なお坊さんが、習字には精神を鍛える作業が必要だといったらしい。
毎日毎日決まった時間に掃除をする、どんなに寒い日でも、窓を全部開けて裸足で雑巾がけ。

この間、ふと彼の習字をしている時間を計算してみた。16000時間ぐらいになる。
もしそれが英会話だったら、まったく初歩のレベルからぺらぺらレベルになって
何往復か出来る時間だ。絶望しても無理は無い。
世の中には実らない努力もあるらしい。
「おいや、もう来世にかける。来世では2才から習字をする。」
ちょっと本気でつぶやいていた。

家族の説得により、習字教室には引き続き通うことにしたらしい。
クリスマスの当日、習字教室から連絡が入り、彼は念願の初段になった。
苦節8年、彼はどうにか成し遂げた。

彼は今本気でダイエットを考えている節がある。
どうやら、長生きに再度めざめたらしい。
なにか次の夢を見つけたみたいだ。
75にもなって、夢がかなったことにうきうきしている。

それからは初段と呼ばれている。(主に末娘に)
「初段、お加減はいかかですか。おはようございます。」
「うん。わるくなか。ばってん、大声で玄関の外から毎日その名前でよんでくれんか。(近所中に初段だときづいてもらえるように。)」

幸せでしょうがないらしい。
どんなに時間がかかっても、誰もがその才能を疑っても、夢はかなうときがある。
サンタさん、私は人生にわくわくしました。本当にありがとうございます。

Guilty beauty

もしそれが本気なら、僕はすべてを受け止める。

真正面からどっしりと。

必要な力をすべて備えて。

自力で手に入れる覚悟をして。

あらゆる犠牲を払ってでも。

君の本気を受け止める。


もしそれが遊びなら、

その君のユーモアを讃える。

そのずるがしこささえ、魅力のひとつでしかないと

僕はただうけとめるだろう。

一瞬のうちにすべてを失うことになっても

君との時間を否定することはできない。


君の本意が何であれ

君と出会えた僕の心は

喜びを知った。

永遠の喜び。

僕の胸の中にある

秘密の

永遠の

喜び

罪深き君の美しさ
(guilty beauty)


*この間のお休みに、一日姪二人の遊びに付き合わされて
くたくたになったときに、いまでこんなに美少女(と私だけが思っている)なら、将来どんなに男の人を振り回すんだろうとおもいながら書きました。おばばかです。

男の子だって繊細なんだから、お手柔らかにね!

我慢とわがままについて

コンテンポラリーダンスをやっていたときに、心に深く刻んだ教訓があった。
コンテンポラリーダンスって、簡単に言えばいまどきにしたバレエみたいなものなんだけど、足を上げるポーズひとつにしても、筋肉を使うべきところに筋肉を使わないときれいにみえない。見慣れるとすぐにわかる。楽をしてるか、筋肉をつかってるか。綺麗に見えないだけじゃなくて、芸術なのに心を動かせないものになってしまう。

 ただでさえ、秒数ごとに激しいからだの動きを求められてるのにいちいち筋肉を入れるなんて、結構きっつい。何度も何度もそんなに気合入れられないのが、まあ本音だった。
でも、先生は見抜くんですね。「うそをつくな!」「ごまかすな!」「自分にショウジキになれ!醜い!」こっちはふらっふらになるまで汗だくに踊ってるのに罵倒が飛ぶわけです。簡単にSとかMとかいう風潮は好きじゃないんだけれど、まあ正直、あの人たちはドSですよ。(嘘です)でも、ごまかしながらじゃ、みにくいんだなって心に刻まれたんだと思う。

 ただ最近、他人に押し付ける我慢については不当だなとよく思う。私の一番嫌いな話で、混んでいる電車に乗っていて、酸素がなくなるくらい苦しいときに、「ちょっと窓をあけてください。」というと、「みんな我慢してるんだからちょっとは我慢しなさい。」といって怒られる話。くだらないけれどよくあることな気がする。「みんな我慢してるんだから我慢しなさい。」で片付けてしまうこと。でも、みんな苦しいなら窓開ければいいのに、と私は思う。
なぜか、我慢が立派なことになっている。

 なにがいいたいのかといいますと、日本(東京?)では、「精神的な努力」と「やみくもな我慢」が一緒くたにされているんじゃないかと思うときがある。努力や一生懸命と我慢が同じというか。「つらい思いをすることがえらい」みたいな。たとえば、なんでそんなに大変だったのに私がダンスにはまってたのかというと、ただ上手に踊りたくてちょっとでもかろやかになりたくて、なりたい人になりたくて夢中だっただけだと思う。すきなことに正直にむかって努力をしたことはいいことだろうけど、つらいのによく我慢したねということで私のダンスへの思いを片付けられたとしたら、ちょっと不本意。我慢というより自分の心にシンプルに従っただけなきがする。

 イタリアに行ったことでその二つの違いに気づくことが出来た。前回のfollow your heartじゃないけど、自分の行きたい道に向かって突き進むことは、わがままじゃないんだなとわかることが出来た。もしかすると我慢を強要しあったときに、人は心が折れてしまうんじゃないかな。自分のこころ、個性を受け止めて他人との違いを理解しあうことが出来れば、我慢を押し付けあわなくてすむんじゃないかと思います。上司が残業してるから仕事も無いのにそれより早く帰れないとか、他人の苦しみに手を差し伸べられないとかは、もしかすると我慢が美徳になっていたことの弊害なのではないかしらと思います。

 
(今回は絵はまったく関係ないものはっときました。)

目に見えるものと見えないもの

新しい会社(ちょっと有名)のスローガンが、follow your heart だった。
大事なことを思い出した。
イタリアですごく仲良くなった友達がいて、私は彼女にほとんど大事なことをなぜか
すべて話した。
彼女は20歳ぐらいの子供が4人いて、今は独身だけどどっからみてもゴージャスで
オープンマインドで、北欧ならではのプラチナブロンドで、白い細身のパンツとか、すごいカラフルな細身のワンピースとか、得意げなハイヒールとか、スタイルが良くて自信がなきゃ着ないものばかりを身につけていてなぜかすごくやさしい人だった。

 すごくひくくて暖かい声で、一度笑うと止まらなくて人を陽気にした。Isola belllaという島の海辺のいえであったときに、お昼なのにプロセッコという泡つきワインを注文して、「私はプロセッコよ。私の友達のひろこは?」といってすごい目力をみせてきた。案の定私は授業が終わるたびに、彼女に会うたびにその炭酸白ワインをいつも飲んでいた。

 私の過去を話して彼女が言ったのは“follow your heart”だった。
子供たちにもいつもそれだけは伝えるの。といっていた。いやいや、アナリスさん
20歳ぐらいのコドモにfollow your heartって、「あなたの気持ちにしたがいなさい」って。
いくらなんでも大胆でしょうよ。「非行」にはしったらどうすんのよ?どういういみよ?
っておもってたけど、彼女はたくさんの平坦ではない人生を生き抜いた美しさと強さで
Follow your heartといいつづけた。わすれないでと。

 私は自分の人生からしか学べないけど、忘れないで。あなたの気持ちにしたがって。
アナリスと別れた最後の日に、私たちは涙が止まらなくて抱き合っても悲しくて、迎えに来た彼女の何番目かのボーイフレンドでこれまたゴージャスな北欧人が、あとで「君はところでゲイとかなの?」って聞くぐらい、大声でないた。

 自分の人生を愛して、責任をもって幸せにむかってfollow your heart
確かにそれ以上の教育なんてないんだろうとおもいます。

すきな言葉

今日は、緊急なのですきな言葉でいきます。


有露路より、無露路に帰る一休み雨降らばふれ、風吹かば吹け

(現世より、来世に渡るひとやすみ、雨ふるならふればいい。風降るならふけばいい。)

by 親鸞上人


「人は何をしに生まれてくるのですか?」
人は何かをしにうまれてくるのではありません。生きているのが楽しくて
幸せだと思えるように生きる、
そのために生まれて、生きているんです。

by谷川俊太郎


正しい理屈や理論じゃないものが
人間を動かすこともある、
それを信じてもいいんじゃないかと
ぼくは思います。
by谷川俊太郎


すべての良い事柄は、遠回りの道を通って、目的へと近づいていく。
byニーチェ

君は一人じゃない
僕がそばにいる
ぼくのたましいはいつも君のそばにいる
byえいじ(banana fish

今日の絵は、オルフェスが空に向かってギターを弾いているところです。
私は、今日のすっきりした気持ちのいい秋はオルフェスみたいだと思いました。収穫っぽい色とか。

rock'n roll!



わがままとか、ナルシストとか、好きなことしか出来ないとか、常識がくだらないとか、優等生が嫌いだとか
音痴なうたを歌い続けるとか
つまらないやつが一番嫌いだとか
なぜか蚕にはまるとか
株にどっぷりはまるとか
大好きな評論家の家に勝手になんどもおしかけるとか
毎日6時間も習字やってるのに、ぜんぜん上達しないとか
43でもまだ夢は見てるというとか
その絵本がすごくかっこいいとか
ボートだけは負けたくないとか
忘れない思いがあるとか
電車が好きすぎて、白い手袋買っちゃうとか
それで、「いつも運転ありがとう」って嬉しくて叫んじゃうとか
いきたい場所があるとか
ぜんぶいいんじゃないかと思う秋の夜長

ちなみに、写真は前歯のないスリルを表現してもらいました。